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コロムビア・ローズ|カバーソングとオリジナルソング一覧[アーティスト特設ページ] コロムビア・ローズ



▼  カバーソング一覧  ▼


1956年(昭和31年) 第7回 紅白歌合戦 ♬ 1956年(昭和31年) 第7回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●宮田輝 | 高橋圭三 【 ミヤタ テル/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  コロムビア・ローズ (6) | ディック・ミネ (6) | ペギー葉山 (28) | 三橋美智也 (16) | 中原美紗緒 (7) | 二葉あき子 (11) | 伊藤久男 (13) | 吉岡妙子 (1) | 大津美子 (8) | 奈良光枝 (9) | 宇都美清 (3) | ・・・アマゾンへ



1957年(昭和32年) 第8回紅白歌合戦 ♬ 1957年(昭和32年) 第8回紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●水の江滝子 | 高橋圭三 【 ミズノエ タキコ/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  コロムビア・ローズ (6) | ジェームス繁田 (2) | フランク永井 (76) | ペギー葉山 (28) | 三橋美智也 (16) | 三浦洸一 (8) | 三船浩 (3) | 中原美紗緒 (7) | 久慈あさみ (2) | 二葉あき子 (11) | 伊藤久男 (13) | ・・・アマゾンへ


1958年(昭和33年) 第9回 紅白歌合戦 ♬ 1958年(昭和33年) 第9回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●黒柳徹子 | 高橋圭三 【 クロヤナギ テツコ/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  コロムビア・ローズ (6) | ジェームス繁田 (2) | ダーク・ダックス (22) | ディック・ミネ (6) | フランキー堺 (4) | フランク永井 (76) | ペギー葉山 (28) | 三橋美智也 (16) | 三波春夫 (34) | 三浦洸一 (8) | 三船浩 (3) | ・・・アマゾンへ


1959年(昭和34年) 第10回 紅白歌合戦 ♬ 1959年(昭和34年) 第10回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●中村メイコ |高橋圭三 【 ナカムラ メイコ/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  コロムビア・ローズ (6) | ザ・ピーナッツ (87) | ダーク・ダックス (22) | フランキー堺 (4) | フランク永井 (76) | ペギー葉山 (28) | 三橋美智也 (16) | 三波春夫 (34) | 三浦洸一 (8) | 中原美紗緒 (7) | 二葉あき子 (11) | ・・・アマゾンへ


1960年(昭和35年) 第11回 紅白歌合戦 ♬ 1960年(昭和35年) 第11回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●中村メイコ |高橋圭三 【 ナカムラ メイコ/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  アイ・ジョージ (12) | コロムビア・ローズ (6) | ザ・ピーナッツ (87) | ダーク・ダックス (22) | フランキー堺 (4) | フランク永井 (76) | ペギー葉山 (28) | ミッキー・カーチス (4) | 三橋美智也 (16) | 三波春夫 (34) | 三浦洸一 (8) | ・・・アマゾンへ


1964年(昭和39年) 第15回 紅白歌合戦 ♬ 1964年(昭和39年) 第15回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●江利チエミ | 宮田輝 【 エリ チエミ/ミヤタ テル 】 ●出場アーティスト »  こまどり姉妹 (7) | アイ・ジョージ (12) | コロムビア・ローズ (6) | ザ・ピーナッツ (87) | ダーク・ダックス (22) | デューク・エイセス (38) | フランク永井 (76) | ペギー葉山 (28) | ボニー・ジャックス (10) | 三橋美智也 (16) | 三波春夫 (34) | ・・・アマゾンへ


  • ■ コロムビア・ローズ

     <解説>  コロムビア・ローズ(アルファベット表記:Columbia Rose)は日本コロムビアの女性歌手で、2009年現在で3人存在する。 初代コロムビア・ローズ 本名は松本光世(旧名:斉藤まつ枝、1933年1月9日 - )、群馬県桐生市生まれ。 そもそもは戦前にデビューした松原操が東京音楽学校(現:東京芸術大学)に在学中だったことから、素顔を出さない覆面歌手の「ミス・コロムビア」として活躍し成功した例を参考に、「戦後初の覆面歌手」として会社の宣伝戦略から計画された。 1951年、「第2回日本コロムビア全国歌謡コンクール」で優勝、日本コロムビアに入社。芸名の「コロムビア・ローズ」は会社名と、第2次世界大戦中、日本軍による連合国向けプロパガンダ放送を担い、米軍将兵から「東京ローズ」と呼ばれた女性アナウンサーをヒントに名付けられた。 1952年、「娘十九はまだ純情よ」でデビュー。「どうせ拾った恋だもの」や「東京のバスガール」など数々のヒット曲を生み、1960年には紺綬褒章を受章。ステージ、映画、テレビ、ラジオと幅広く活躍するが、1961年に突如引退する。



<アーティスト名索引>