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高英男|カバーソングとオリジナルソング一覧[アーティスト特設ページ] 高英男



▼  カバーソング一覧  ▼


1953年(昭和28年) 第3回 紅白歌合戦 ♬ 1953年(昭和28年) 第3回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●本田寿賀 | 宮田輝 【 ホンダ スガ/ミヤタ テル 】 ●出場アーティスト »  ディック・ミネ (6) | 久慈あさみ (2) | 乙羽信子 (1) | 二葉あき子 (11) | 伊藤久男 (13) | 奈良光枝 (9) | 岡本敦郎 (8) | 平野愛子 (2) | 暁テル子 (4) | 月丘夢路 (1) | 松島詩子 (10) | ・・・アマゾンへ



1954年(昭和29年) 第5回 紅白歌合戦 ♬ 1954年(昭和29年) 第5回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●福士夏江 | 高橋圭三 【 フクシ ナツエ/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  ディック・ミネ (6) | ペギー葉山 (23) | 二葉あき子 (11) | 伊藤久男 (13) | 奈良光枝 (9) | 宮城まり子 (9) | 小畑実 (4) | 岡本敦郎 (8) | 川田孝子 (2) | 春日八郎 (22) | 松島詩子 (10) | ・・・アマゾンへ


1956年(昭和31年) 第7回 紅白歌合戦 ♬ 1956年(昭和31年) 第7回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●宮田輝 | 高橋圭三 【 ミヤタ テル/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  コロムビア・ローズ (6) | ディック・ミネ (6) | ペギー葉山 (23) | 三橋美智也 (16) | 中原美紗緒 (7) | 二葉あき子 (11) | 伊藤久男 (13) | 吉岡妙子 (1) | 大津美子 (7) | 奈良光枝 (9) | 宇都美清 (3) | ・・・アマゾンへ


1957年(昭和32年) 第8回紅白歌合戦 ♬ 1957年(昭和32年) 第8回紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●水の江滝子 | 高橋圭三 【 ミズノエ タキコ/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  コロムビア・ローズ (6) | ジェームス繁田 (2) | フランク永井 (68) | ペギー葉山 (23) | 三橋美智也 (16) | 三浦洸一 (8) | 三船浩 (3) | 中原美紗緒 (7) | 久慈あさみ (2) | 二葉あき子 (11) | 伊藤久男 (13) | ・・・アマゾンへ


1959年(昭和34年) 第10回 紅白歌合戦 ♬ 1959年(昭和34年) 第10回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●中村メイコ |高橋圭三 【 ナカムラ メイコ/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  コロムビア・ローズ (6) | ザ・ピーナッツ (81) | ダーク・ダックス (22) | フランキー堺 (4) | フランク永井 (68) | ペギー葉山 (23) | 三橋美智也 (16) | 三波春夫 (33) | 三浦洸一 (8) | 中原美紗緒 (7) | 二葉あき子 (11) | ・・・アマゾンへ


1960年(昭和35年) 第11回 紅白歌合戦 ♬ 1960年(昭和35年) 第11回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●中村メイコ |高橋圭三 【 ナカムラ メイコ/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  アイ・ジョージ (12) | コロムビア・ローズ (6) | ザ・ピーナッツ (81) | ダーク・ダックス (22) | フランキー堺 (4) | フランク永井 (68) | ペギー葉山 (23) | ミッキー・カーチス (4) | 三橋美智也 (16) | 三波春夫 (33) | 三浦洸一 (8) | ・・・アマゾンへ


1961年(昭和36年) 第12回 紅白歌合戦 ♬ 1961年(昭和36年) 第12回 紅白歌合戦

  【 司会者 】
 ●中村メイコ |高橋圭三 【 ナカムラ メイコ/タカハシ ケイゾウ 】 ●出場アーティスト »  こまどり姉妹 (7) | アイ・ジョージ (12) | ザ・ピーナッツ (81) | ジェリー藤尾 (5) | ダーク・ダックス (22) | フランキー堺 (4) | フランク永井 (68) | ペギー葉山 (23) | 三橋美智也 (16) | 三波春夫 (33) | 三浦洸一 (8) | ・・・アマゾンへ



  • ■ 高英男

     <解説>  高 英男(こう ひでお、本名:吉田 英男、1918年10月9日 - 2009年5月4日)は、樺太(現・サハリン)出身の日本の歌手、俳優。日本におけるシャンソン音楽普及の第一人者であり、フランス国内でも活躍。独自のムードを醸し出す歌手・俳優として知られた。経済学者で日本大学第4代総長の呉文炳は従兄弟にあたる。 大正7年(1918年)10月9日、樺太泊居町で生まれる。8人兄弟の末っ子だった。生後すぐ、母方の伯母の嫁ぎ先へ戸籍上だけ養子に。高は実家の姓で、大陸名のような名前だが日本人である。実家・養家は共に製紙工場を経営しており、王子製紙の創立者の一人である。 11歳のとき、勉学のために樺太から単身東京へ出され、下谷の従弟のもとに身を寄せる。吉田の家が、浅草でも知られた顔だったため、映画・舞台を自由に見て回れた。 本人曰く「《樺太の自然児》として育った子供が、急に人と人の関係が複雑な芸能界のウラみたいなトコで過ごすようになっちゃったんだから、こりゃあ変な男が出来ないはずがないですよ(笑)」 父親は医者にさせたく獨逸学協会学校中等部入学、卒業後武蔵野音楽学校へ進学。



<アーティスト名索引>